2011年09月25日

生と死 

ブログ表題から遠く離れてしまってますが
特に今年は考えさせられる年になったと思います。

3.11と9.11の10年

3.11地震は天災、原発は人災とも言われてますが
発端はすべて地震でこれは自然が起こしたことで仕方がないことだと思います。
誰のせいでもないけどこうなるのは歴史上必然の出来事だったのかもしれません。

9.11は人災
テロは絶対によくない
けど、テロと戦うことも、テロを起こす側も
両方が正義の名の下だったこと。
これも歴史上必然の出来事だったのかもしれません。

10年前、NYに遊びに行っててWTCを見て帰ってきた2週間後に
TVで崩壊してる現場を目の当たりにしました。
それは映画を見てるようで信じることができなかった。
この時もいろんなことを考えさせられたし

3.11のあの悲惨な現状は多くの方が空虚感に
襲われいろんな想いを巡らせた出来事となりました。

3.11も9.11も
犠牲になったのは何の罪もない方々。
何で?この方々が?なぜこの時間?なんでこの場所?
考えても考えても答えなんか何一つ見つからない。

そして規模は違うけど近くの生と死

全く逆だけど表裏一体

有名な言葉ですが
「あなたが生まれたとき、あなたは泣いて、周りは笑っていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、周りが泣いて、あなたが笑っているような人生を歩みなさい」

与えられた命を精いっぱい生きよう。
そしていつ終わっても悔いのないように。

私の大好きなブロガーさんが3.11直後にUPしてて
すっごい腑に落ちた曲

いつも何度でも
-千と千尋の神隠し-



呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに みつけられたから
posted by Ariel at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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